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電子手帳から見るゲーム機のVita

この内容については、実は違うテーマで書いていた際に、その内の一つの段落がやたらと膨らんでしまったので、とりあえず単発であげることにしたものだ。だから、話の流れとしてかなり突飛なところからスタートしている。

「えっ?なんで電子手帳?」

と。なので、そこについては妄想の果てに切り出された部分だということでご理解いただきたい。

なお、あいかわらず根拠の無い個人の妄想話ですのでそこんとこよろしく!ということで。


多機能携帯電話と電子手帳の類似性

日本における「ガラケー」と呼ばれる携帯電話が普及した背景として「多機能化」があった。

代表的なものではデジカメやオサイフ機能、ワンセグと電話と直接関係ないものから、使い勝手に配慮されたアドレス帳やらスケジュールやらメールやら何やらBluetoothではなく赤外線が主流搭載というのもある意味で特徴だった。

とはいえ、そんなに多機能でも、各個人のレベルにまで落とすと「実装されている機能の半分も使ったことが無い」という人がほとんどだろう。でも、「大は小を兼ねる」という感じでなんでもかんでも盛りだくさん!な感じで機能が実装されている。ま、十徳ナイフみたいなものだという人もいるけど。


だが、思い返せば「多機能」な「携帯型」の「電子機器」は携帯電話が最初ではない。


そもそもその方向性というかジャンルは「電子手帳」が担っていたモノだった。


しかしながら、今では「電子手帳」という言葉を使う人すら滅多にいなくなり、実際に今でも使っている人は少数だろう。新製品も「電子手帳」という形では今は発表されず、「ほら、手帳みたいな電子機器あるじゃん!」というと「あぁ、電子辞書ね!」と、すでにイメージすら変わってきてしまっている始末。


そう。携帯電話が流行る前にかなりの数普及していた電子手帳に代わり、あっという間に携帯電話がその市場を掴み取ってしまった。現在はその流れの先にスマホが乗っているけど、スマホは機能的にも携帯電話よりむしろ電子手帳に近いという観点で考えれば、電子手帳が形と名前を変えてやっと舞い戻ってきたぐらいの話で。

なぜ、そんなことが起きてしまったのだろうか。


自分としてはそれはたった一つの「特徴」で決まったと考えている。

「通信機能」

だと。


電子手帳の衰退と携帯電話の興隆

この辺りの話はすでに出尽くしているのでいまさら感がある話しだが、
・携帯電話は通信機能が標準であり、通信が常に使える状態だった
・電子手帳は通信機能がオプションであり、オフライン使用が前提だった
という違いがある。

電子手帳が主にビジネスマンを中心に売れていた頃、携帯電話はそこまでの機能は持っていなかった。

なので、携帯電話で電話をしながら電子手帳を颯爽と取り出してスケジュールを登録したり、次にコンタクトする人を呼び出したりと「カッコイイビジネスマン=電子手帳を使いこなしている人」ぐらいのものだった。いまだと「それ、ワイヤレスヘッドセット付けてスマホでやるよね」と言ったところだろうが。


そういう意味で、当時は使い分けが出来ていた。携帯電話も電子手帳もそれぞれ別の役割となっていて、一部の電子手帳はオプションで「携帯電話接続ケーブル」みたいなもので「データ通信」(メールなど)をするぐらいの感じだった。


性能的な面で言えば、携帯電話よりも電子手帳の方が高機能だった。


当時ですら電子手帳は今でこそ普通のタッチパネルを採用していたり、メモリカードなどでの拡張や、パソコンとの接続、スケジュールやアドレス帳などのデータ連携や、プリンタなどへの外部機器接続もできた。カメラが標準でついていた機種も当然ある。「スマホの原型」ともいえるほどに機能は充実していたのだ。


なら、なぜ携帯電話が勝てたのか。電子手帳という言葉を聞かなくなるほどに。


「値段が高かった?」それもあるだろう。
「難しそうだった?」それもあるかもしれない。

でも、自分としては「電子手帳は通信機能が標準ではなく通信を前提とした機能拡張性が携帯電話に比べて劣っていた」が最大の要因だと考えている。

電子手帳が衰退したのではないのかも知れない。なぜならば、そのニーズ的なところは現在のスマホが十分に引き継いでいる。ならば携帯電話が興隆したのか?というと、たぶんそうだと思っている。

機能が無いはずの携帯電話の方が、結果的に便利だったのだ。


通信が出来ることの重要性と機能の拡張性

電子手帳が登場した時代は、まだ「データ通信」というものは一般的ではなかった。

すでに携帯電話こそあったものの、データ通信としての利用は主ではなく、あくまでも音声通話がメイン。

一般的な普及状況としてはポケベルやショートメール程度の簡素なメールを送る程度が限界で、携帯電話機などでデータ通信をするのはビジネスで必要とされる人か一部のそういうのが大好きな人に限られていた。

その後、安定的で高品質(高速)なデータ通信が可能となる「ISDN」などがサービスとして登場し、家庭ではパソコンなどを繋ぎ、外出先ではISDN公衆電話で通信をするという人も登場してきた。


だが、いずれも「接続可能な場所が限られていた」ということと「通信をする手段が別に必要だった」という「使っている人が便利だと思っている以上に、使っていない人から見たらめんどくさそうな要素」が大きかったのだ。


そして、携帯電話機がどんどん普及していく中で、携帯電話でもアドレス帳に登録できる件数や個人情報の項目が増えたり、カメラで写真や名刺を取り込めるようになったり、今ほどではないものの各種アプリやゲームをダウンロードしたり、ブラウザでも携帯電話機の本体機能以上にさまざまなサービスが利用できるようになっていった。


気が付いたとき。すでに携帯電話は「常に "データ通信可能" な状態」を作り上げていた。


このデータ通信が出来ることで、(多少の違いこそあれ)誰でも同じサービスを同じように受け取れることが出来た。

本体の性能とは直接関係無く、時間と場所に縛られることなく、である。



これは「機能拡張」だった。データ通信が出来るという単純ともいえることが、携帯電話としてのハードウェアの性能向上以上の機能拡張を生んだ。通信代はかかったものの、導入としては電子手帳より安価に、だ。


この通信環境が分離されていた事で、電子手帳は携帯電話に負けたのだと思っている。


携帯ゲーム機と電子手帳の類似性

ゲーム機はゲームをするためのものだ。昔からそれで十分であった。

ゲームのために必要な機能はコントローラーとしての操作性はもちろん、アクセサリ端子などによる周辺機器増設による拡張なども配慮して設計されていた。


TVに繋ぐゲーム機は単独で動くのが前提であったものの、こと携帯ゲーム機に関しては「携帯ゲーム機同士をケーブルで繋ぐ」という通信ケーブルが登場し、その頃から「ゲーム機には通信機能が必要」という流れが生まれていった。

ただし、それは「対戦などで遊ぶ場合」であり、同じゲーム同士を繋げるためのものであり、ゲームに必要なもの以外は基本的に不要という考えがあった。それは、無駄を省くためでもあり、コストを抑えるためであり、軽量化や小型化に必要なものでもあった。

ゲームの幅を広げるための拡張性とコストの削減は相反するところにあり、ゲーム機によっては機種の型番が変更になるたびに機能が削られていく(不要と判断される)というものも当たり前だった。


ある意味、「携帯ゲーム機」と「電子手帳」は似ているのかもしれない。


出来ることはそれぞれ沢山ある。むしろ、そのそれぞれが持つ特徴である機能に特化しており、それ以外の部分は削ぎ落とされて。

そして、「通信」についても「必要な場合」という形での利用が前提であって、かつ「ゲームを持ち寄って対戦する時」以外では不要だったし、データ通信を行うための環境も整っていなかったといえるだろう。


電子手帳が辿った道程。携帯ゲーム機も同じでいいんだろうか。


まとめ(ネットワーク依存型携帯ゲーム機の拡張性)

ここまで話が来れば、なんとなくまとめの予想は付くと思うけど、「Vitaはネットワーク依存型の携帯ゲーム機」だ。

目指したものが「従来の携帯ゲーム機からの脱却」であり、その一つの可能性として「ネットワークの持つ拡張性に賭けた」といえるだろう。携帯電話が機能でも性能でも操作性でも負けていた電子手帳に勝ったように。


ただ、これは携帯ゲーム機という形でまとめてはいるが、パソコンのゲーム利用、据え置きゲーム機においてもネットワークはすでにあって当たり前なものとなっており、これに追随しただけではある。別に携帯ゲーム機だけネットワークに対応すればいいという話でもなく。

だが、携帯ゲーム機だからこそ、機能拡張性をネットワークに求めることで「不可能を可能にする」事も期待できるのではないだろうか?という。


すでにそのプラットフォームは揃っている。


クラウド型ゲームもパソコン、タブレットPCやスマホにおいては今後期待できる分野として注目されているし、家電などの機器と繋げる仕組みもまた数年前と比べて現実的なところで既に整ってきている。単独で携帯電話と同様に通信キャリアに繋ぐことも出来るし、テザリングや公衆無線LANの充実によりネットワークを使える機会も場所も増えてきた。

それらの仕組みは今後すべて「拡張性」になる。いや、もっと夢見がちな言い方をすれば「それらがすべての可能性」と言える。

ハードウェアの持つ、従来の性能の限界を超えた事もアイデア次第では出来るかも知れないという。


Vitaはそういうゲーム機だ。


電子手帳が辿ってきた道から、今後の携帯ゲーム機の興隆に思いを馳せる*1のも悪くは無いかもしれない。

*1:別にVitaに限る話じゃない。